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校長講話

202203.29

校長講話No.205「エイブラハム・リンカーンのこと」(2021年度 中学校卒業式式辞)

 春は命の躍動する季節です。少し外を歩くだけで、私たちは様々な命を見たり、聞いたり、感じたりすることができます。しかし、ウクライナでは今この瞬間も一般市民の方々が命を脅かされる時を過ごしています。今回のウクライナの出来事については、私たち一人一人が自分なりの考えを持たなければならないと思います。

 中学3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。今私たちはとても大変な時を過ごしています。コロナ禍、そしてウクライナの出来事に向き合っています。このような時には、今まで以上に自ら学び、自分の頭で考えるということが求められます。学校の勉強だけでなく、世の中で起きていることに関心を持ち続け、学び続ける生徒であってほしいと思います。

 保護者の皆様、本日はおめでとうございます。日頃の本校の教育活動へのご理解とご協力があったからこそ、生徒たちは充実した学校生活を送ることが出来ました。

 今朝はアメリカ合衆国の第16代大統領エイブラハム・リンカーンのことをお話しします。リンカーンは1861年に大統領に就任し、18654月凶弾に倒れるまでその職を務めました。奴隷解放宣言やゲティスバーグの演説のことは歴史の勉強で習ったことでしょう。

 リンカーンは聖書を良く読みました。次の言葉を残しています。

 「私は聖書を神が人間に下さった最高の贈り物と信じている。」

 リンカーンの2つのエピソードをこれからお話しします。

 その前にちょっと横道にそれますが、私たちは体を鍛えることを「体を作る」と言うことがあります。また学力を付けたり知識を増やしたりすることを「自分を作る」と言います。体や自分を作る、では、顔についてはどうでしょう。私たちの顔です。顔は自分で作ることが出来るのでしょうか。

 私の体験をお話しします。ここのところコロナ禍のために実施できていませんが、長野清泉では8月に、2011311日の東日本大震災の被災地、大船渡市にボランティアに行きます。34日のボランティアです。私も第1回目に参加しました。ボランティアに出発する生徒を長野駅で見送り、ボランティアを終えて帰って来る生徒を駅で出迎える時に気付くことがあります。

 生徒たちの顔付きがボランティアに行く前と帰って来た時とでは変わっているのです。もちろん顔の形は同じですが、顔付き、表情が明らかに変わっている。これは恐らく23日の被災地での体験が参加した生徒たちの内面を変え、それが表情に現れたのだと思います。このようにある体験が人の内面に影響を与え、表情を変えることがある、ということは、皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか。

 リンカーンの一つ目のエピソードです。私はこのリンカーンの話を小泉信三という人の書いた『読書論』という本で知りました。この本です。著者の小泉信三は慶應義塾大学の塾長を務め、今の上皇、天皇陛下のお父様、が高校生の時に教育掛をしました。

 この本の中にとても印象深いリンカーンのエピソードが紹介されています。そこを読んでみます。尚、小泉信三はリンカーンではなくリンカンと書いています。

 「エイブラハム・リンカンについてこんな話が伝えられている。リンカンは或るときその友人の推薦した或る人物を閣僚に採用しなかった。そうして、その顔が好きでないからといった。それは酷ではないか、彼れは顔には責任がないと、その友がいったら、彼れは答えて、イヤそうでない、四十歳以上の人間は自分の顔に責任がある、といったということである。」

 つまりリンカーンは自分の顔は自分で作り上げていくものだと言っているように思います。顔の形は変えることは出来ないでしょう。しかし、顔付き、面構え、目の光、そういったものは私たちが自分で作ってしまうものだとリンカーンは言っている。

 先程被災地でのボランティアに行く前と帰ってきた時とでは生徒の顔付きが変わっているという話をしました。おそらく自分たちでは気付いていないと思います。私たちは何かにチャレンジすればうまくいくこともあれば、失敗することもある。失敗の体験は辛いけれども果敢に挑戦してうまくいかなかったとしても、その体験は自分の中に残る。そしてその自分の中に残ったものが顔付きに出てくる。チャレンジをしなければ、失敗することはないけれども、体験として残るものも同時にない、顔は出来上がっていかない、ということになるのかもしれません。また、「四十歳以上の人間は自分の顔に責任がある」という言葉も興味深いものです。四十歳までに失敗を含め、色々な体験を積め、と言っているように聞こえます。

 聖書を一か所お読みします。キリストの最初の弟子、ペトロの書いた手紙です。ペトロの手紙一、3章の3節と4節をお読みします。

 「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

 ペトロのいう内面的な人柄はリンカーンの言う顔に責任を持つ、という話に通じるものがあります。

 顔は自分で作っていくものである、ということを心に留めておいて下さい。

 二つ目のエピソードです。これは短くお話しします。

 皆さんはアメリカの祝日、感謝祭、Thanksgiving Day のことを聞いたことがあるでしょう。11月の第4木曜日です。感謝祭はその年の収穫に感謝する行事として伝統的に行われていましたが、その日をアメリカの祝日として定着させたのはリンカーンでした。リンカーンが感謝祭をアメリカの祝日としたのは、1863年です。1863年という年はアメリカが北軍と南軍とに分かれて争った南北戦争の最中でした。

 父と息子が南軍と北軍に分かれて争うような悲惨な戦争、南北戦争の最中にリンカーンはあえて感謝祭という祝日を設けたのです。南北戦争という国を二分する争い、そんな大変な状況の中にあってさえも、感謝すべき、喜ぶべきことはあると国民に訴えました。

 人生の中でとも辛い出来事に見舞われたとしても、その時であっても必ず感謝すべき、喜ぶべきものはあるというのがリンカーンの考え方でした。なかなか出来ることではないと思いますが、リンカーンの前向きな姿勢を覚えておきたいものです。

 リンカーンは聖書を「神が人間に下さった最高の贈り物」と言いました。もう一か所その聖書をお読みします。

 復活したイエスと出会い、人生が百八十度変わったパウロの手紙です。テサロニケの信徒への手紙一の51618節をお読みします。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

 リンカーンは南北戦争の大変な時を過ごしている時に、感謝祭という祝日を設定しました。その時、今お読みした聖句が彼の頭の中にあったのではないかと想像します。

 本日はリンカーンについてお話ししました。彼が、「私は聖書を神が人間に下さった最高の贈り物と信じている。」と言ったこと。そして「自分の顔を作り上げていく」話と、「どんな困難な時を過ごしている時にも前向きでいる」彼の姿勢について話しました。

 これから皆さんが生活していく中で、心に留めておいてもらえれば嬉しいです。

以上を式辞と致します。

 

エイブラハム・リンカーン

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