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News 清泉日記
清泉日記
202304.18
No. 517 「式辞」
高校1年生、76期生の皆さん、本日はご入学おめでとうございます。
そして、中学1年生15期生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
保護者の皆さん、お嬢様のご入学おめでとうございます。
来賓の方々には、この新入生の門出の日にご臨席賜りまして、感謝申し上げます。
さて、今日、長野清泉女学院中学・高等学校に入学を許可された皆さんは、今日から、清泉の生徒としての生活が始まります。清泉という学校に期待を膨らませていることでしょう。
清泉は学校ですから、勉強するところです。皆さんは、生徒ですから、よく勉強しなくてはなりません。皆さんは、中学生でしたら、小学校で、高校生でしたら、中学校で勉強してきたことと思います。これからも、さらにもっと勉強しなくてはなりません。皆さんの中で、今、「勉強」と聞いて、嫌だなと少しでも思った人がいますか。もしいたとしたら、大きな勘違いをしているので、ここで、その間違いを正しましょう。勉強、嫌だなと思った人は、勉強というものについて、おそらく、今まで、誤った認識で教えられたか、あるいは、それを伝えてもらう機会がなかったからだろうと思います。
勉強とは、人間だけがするものです。人間は、勉強することによって、もっと、もっと人間になっていきます。勉強することによって、新たな地平に立ち、視野が広がっていきます。そうすると、ますます知りたいと望むようになるのが人間の存在です。美しさ、美をもとめて、真理を求めて、正義を求めて、そして、愛を求めて、ますます学んでいくのが人間という存在です。ですから、勉強することは、一生続くものです。
学校とは、勉強するところといいましたが、何を学ぶのかというと、勉強することを学ぶところなのです。学校で勉強するという姿勢を学ばないといけません。いかに学ぶのか、それを勉強するところです。テストでよい点数をとること、それは、うれしいことでしょうが、それが勉強の目的ではありません。
皆さんには、清泉生として、よく勉強してほしいと思います。よく勉強できるようになるためには、自立した学習者にならなければなりません。宿題だから、勉強する。先生や親から勉強しなさいと言われたから、勉強する。そのような態度では、自立した学習者にはなれません。何のために勉強するのか考えなくてはなりません。それには、自分に夢がなくてはなりません。夢や希望がなければ、私たちは何のために生きているのでしょうか。
学校であれば、今話したことは、当然のことです。当たり前のことなのですが、しかし、社会の現実を見ると、そうでないことがわかります。皆さんには当たり前すぎることでも、この世界では、教育を受けたくても受けられない人たちがいるということを忘れないでください。戦争や内戦の中にある人たち、ひどい貧困のために、搾取されても働かざるをえない人たち、また、一部の地域では、女性というだけで、教育を受ける機会を奪われている人たちもいます。皆さんがこうして教育を受けられることは、本当に恵まれていることなのだと感じてほしいと思います。そして、この恵まれていることを、ただ幸運なことだと考えるのではなくて、この恩恵にあずかった皆さんには、よく勉強して、人のために、とりわけ、弱い立場にある人のために仕え、この社会をよりよいものにしていく使命があるのだと気づいていってほしいと思います。
清泉の教育は、皆さんの一人ひとりのいのちという存在がとても尊いものだということを教えます。そのいのちが輝くように導きます。自分の人生は何のためにあるのか、なぜ生きていくのか、幸せに生きるとはどういうことなのか、と自らに問いかけるように導いていきます。
清泉の教育の意味や深さは、清泉にいる間でわかるものではありません。人生を歩む中で、少しずつわかっていくものでしょう。この宝を受けることになる皆さんは、本当に幸せな人です。どうかそのことを忘れず、清泉生として、誇りを持って、学んでいってほしいと思います。