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清泉メッセージ
201411.08
No46「死者の月を覚えて」
カトリック教会では典礼暦という独自の暦があります。その暦によると11月は死者の月となっています。11月2日(日)は、すべての死者のために教会ではミサが捧げられました。
死者を記念する習慣は、998年フランスにあるクリュニー修道院に住む修道士たちによって始められたと伝えられています。クリュニー修道院とは910年に創設されて以来、約300年間、刷新を繰り返しながら、大きな役割を果たしてきました。この大修道院に毎年多くのキリスト教徒が、亡くなられた家族、親族、友人のためにミサを捧げて頂くために訪れと伝えられています。羊・ヤギなどの動物の皮で作られた羊皮紙に、祈りを希望する死者の名前を入れて頂き、修道士たちに祈って頂きます。そうすることで、彼らの魂が永遠の安らぎの世界へ旅立つことができると信じられていたためです。
さて、死者の月に入ってわたしはある一人のシスターのことをしばしば思い出しています。数年前に大切な論文の最終段階に入っていた時に「だしが出るうちは使ってね!」などと冗談ともいえないような不思議な表現をしてくださったシスターの死に遭遇しました。若い時には手術室で活躍する、切れ味が鋭く、優秀な看護師として手術室で働いておられました。文才もあり、修道会から本を書くように頼まれたり、大切な翻訳を頼まれたりしていた方です。
亡くなる前晩、お祝いの食事を済ませ、朝自分の身の回りのすべての洗濯を済まして、ミサに与り、病人のシスターのお世話を済ませ、礼拝に与っていたところ異変に気づき、わたしは知らせを受けて救急車を呼びました。自分の足で外まで歩いて、すべての力を捧げつくされたという感じでした。ご一緒に救急車に乗りながら、このシスターがまさに魂を明け渡そうとしている時、この世と永遠の憩いの時空を行き来しながら、これまでの生涯を溢れる感謝のまばゆい光で眺めておられることを感じて深く感銘を受けました。出会った人々、出来事、困難のすべてを感謝と喜びのうちに味わい、そして自らのいのちを永遠の主に明け渡していく幸いを、このシスターから教えて頂きました。
イエス・キリストご自身がそうでした。死に渡される前晩、ユダヤの慣習に従って、過越しという恒例の食事会で弟子たちを自らもてなしました。用意されるものは種なしパンとブドウ酒、そして、幾種類かのハーブ。死を目前に控えているイエスが「これはわたしの体」「これは私の血」と祈りました。それはイエスのお姿が見られなくなっても、パンとブドウ酒のうちにキリスト御自身を残されるためでした。キリストとつながっていることで、永遠のいのちが保証されています。
わたしたちも人生の最後の瞬間を「溢れる感謝と喜び」のうちに終えられるように、いろいろな難しさはありますが、1つ1つの出来事と誠実に向き合って生きていきましょう。