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校長講話
201504.04
校長講話_20「隣人へのまなざしを常に ~入学式式辞より」
中学1年生の皆さん、高校1年生の皆さん、長野清泉女学院中学・高等学校にようこそいらっしゃいました。皆さんを本学院の新しい生徒としてお迎えできることを本当に嬉しく思います。
保護者の皆さま、本日はおめでとうございます。皆さまは手塩にかけてお育てになったお嬢様を本校にお預けなさいます。教職員一同、一人ひとりのお子様を暖かく見守り、本校に入学して良かったと、皆さんが思えるように努力してまいります。
ご来賓の皆さま、いつも様々な場で支えて頂いておりますことに感謝申し上げます。また本日は入学式に御臨席を賜り、誠にありがとうございます。
聖書を一か所お読みします。聖書は旧約聖書と新約聖書から成っています。新約聖書の最初に置かれているマタイによる福音書、22章36節から40節をお読みします。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
もう一度お読みします。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
今朝は今お読みした「隣人を自分のように愛する」ということについてお話をしたいと思います。「隣人を自分のように愛する」とは頭では理解できますが、実際にはどのようなことなのでしょうか。2つのことから、そのことについて考えてみたいと思います。
一つ目です。これからお話しすることは、昨年秋の高校の体験入学、また中学の学校説明会でお話ししたことです。今日は少し、角度を変えてお話し致します。
昨年の夏、本校から二人の先生がオーストラリアとインドネシアの間に浮かぶ島、東ティモールを訪れました。2002年にインドネシアから独立した若い国で、現在希望に燃えて国作りをしています。そこでは本校の設立母体である聖心侍女修道会の修道院と学校があり、シスター方は国作りのお手伝いをしています。
ここで、修道会のことを説明いたします。聖心侍女修道会の本部はローマにあり、世界各地に修道院を置き、主に恵まれない人たちのためにシスター方が働いています。先程のイエスの言葉、「隣人を自分のように愛する」の隣人とは、シスター方にとっては恵まれない方々のこととも言えるかと思います。聖心侍女修道会のシスター方が日本にやってきて、昨年でちょうど80年になりました。その歴史について、皆さんはこれから宗教の時間で学ぶことになるでしょう。
さて、東ティモールに1週間滞在したお二人の先生は、帰国後、この体育館で、全校生徒の前で報告会を開きました。そこでは、東ティモールの人々の暮らしぶり、本校生が届けた鉛筆をもらって大喜びする子供たち、本校からの募金で建てられた小学校の校舎の写真などが紹介されました。
この説明会の後、一人の高校3年生が私に次のようなことを話してくれました。「私は、あの東ティモールの報告会で、自分の中の何かが大きく変わるのを感じました。それまで、私は仕事は自分のためにするものだと思っていました。でも、あの報告会を聞いて、人の為にする仕事もあるんだと気付いたんです。」とおっしゃいました。彼女は将来、建築関係の仕事をしたいと思っていたそうです。しかし、報告会を聞き、建築の仕事に携わるにしても、貧しい人々のために家を建てたいと強く思ったとのことです。イエスの言う「隣人を自分のように愛する」の「隣人」が、彼女にとっては家を持たない貧しい人々であるということに気づいたと言えるのではないかと思います。
2つ目です。私は英語の教師ですので、4回ほどイギリスに行きました。印象に残っていることの一つにこんなことがあります。ケンブリッジのホテルに滞在していた時のことです。そのホテルの前には信号機のない横断歩道がありました。日本では残念ながら信号機のない横断歩道では、渡ろうとしてもなかなか車が止まってくれません。そのことが悲しいと、以前高校生の投書が新聞に載りました。ケンブリッジのその横断歩道でも、私はしばらく待つつもりで、立っていました。すると、車がすぐに止まったのです。以後、10日程、その横断歩道を何回も利用したのですが、1台目の車が行ってしまうことはあるにしても、2台目の車は必ず止まりました。
今年の2月に2日間、高校1年生はカトリックの神父様をお迎えして錬成会という会を持ちました。錬成会の錬は金偏に東と書く錬です。本校の伝統行事です。この錬成会は、私たちにとって、とても大切なことだけれども、日頃じっくりと考えることの出来ないことについて、ゆったりとした時間の中で、神父様の指導のもと、考える会です。テーマは、「友情」、「愛」などです。今年のテーマは「関わりあう」でした。
この神父様は、長くイギリスに住み、英国聖公会の司祭をなさり、現在は日本でカトリックの司祭をなさっています。昼食の席で、先程の横断歩道のことを話題にしました。神父様は、イギリスでは子どものころから、how to behave to each other ということを家庭でも、学校でも教え込まれるのだと話して下さいました。 how to behave to each other 、how to~は「~の仕方」です。behave は「振る舞う」、each other は「お互い」です。how to behave to each other は訳すと「お互いにどのように振る舞うか」という意味です。言いかえれば、お互いにどのように関わりあうか、ということです。
ある高校3年生はこんなことを話してくれました。「清泉に入って、どんな人も見捨てない」ということを強く思うようになった、と。私が、「どうしてそういう風に思うようになったの。」と聞くと、「やっぱり、宗教の時間とか、神父様のお話を聞いたりしたからかな。」と答えました。
イエスの言う「隣人を自分のように愛する」ということは、今日聞いて明日から実行できることではないでしょう。しかし、とても難しくて出来ない、ということでもないのではないでしょうか。一人目の高校3年生は、仕事に対する見方を変え、「自分のために」ではなく、「人のために」働こうと考えました。二つ目のイギリス人の意識にある、how to behave to each other は日々の心がけです。
21世紀の今、科学の進歩は目覚ましく、私たちの生活は限度がないかのように便利になっています。しかし、人間が共に支えあって生きていくのに大切なことは、今も、昔もそう多くはありません。
イエス・キリストはそのもっとも大切なことを、今も私たちに語り掛けています。「私にとって、隣人とは誰だろう。」、「自分のように愛するとはどういうことだろう。」、そもそも「愛する」とはどういう行いだろう、折に触れて考えるようにしてみて下さい。
長野清泉で過ごす3年間、6年間で、皆さんの心が少しでも豊かになり、隣人へのまなざしを常に忘れない心が育ってくれれば、これに勝る喜びはありません。
本日は入学おめでとうございます。以上を式辞と致します。
(2015年4月4日、入学式式辞より)