メニュー

お知らせ

長野清泉女学院中学・高等学校 > >

News 校長講話

校長講話

201501.28

校長講話_15「人はなぜ、本を読むのか」

dasfas51XakxCgNVL.jpg 昨年の11月、読書週間の際に、皆さんに、是非読書の習慣をつけてほしい、というお話をしました。今朝も、読書についてお話をしたいと思います。

 さて、人はどうして本を読むのでしょう。本屋さんに行くと、読書について書かれた本で、一つあるいは二つの棚が一杯になっています。読書という行為が私たちにとっていかに大きな意味をもつのか、ということがわかります。私たちはなぜ、本を読むのでしょう。何かを学ぶために、ということがあります。政治や経済のことを知りたくて、本を読む。歴史が好きだから、今まで人類が辿って来た道を知りたいから歴史の本を読む。これらは、ある目的を持って読む読書です。こういう読書も楽しいものです。

 昨年は、夏目漱石の小説「こころ」が朝日新聞に連載されて、100年目ということで、「こころ」が100年ぶりに朝日新聞に連載されました。現在は、漱石の「三四郎」が朝日新聞で再連載されています。「こころ」も「三四郎」も百年に渡って読み続けられていますが、「こころ」や「三四郎」のような小説を読むことは、先程お話しした目的を持った読書とはちょっと違うような気がします。はっきりとした目的のない読書かもしれません。私たちは、なぜ、「こころ」や「三四郎」のような小説を読むのでしょうか。この問いに対する答えは、きっと一つではないはずです。10人いれば、10人の思いがあるはずです。
 先日、芥川賞の発表がありました。小野正嗣(まさつぐ)さんの「九年前の祈り」が、第152回の芥川賞に決まりました。受賞後の「芥川賞に決まって」という文の中に、なぜ小説を読むのか、という問いに対する小野さんの思いが述べられています。今朝はその部分を紹介したいと思います。

 「・・世界文学の名作を読めばすぐに気づくように、そこには純度百パーセントの幸福な人生などいっさい存在しない。実は、小説の世界は困難と痛みと悲しみに満ちている。小説を読むのは、『快適さ』とはほど遠いネガティブな暗いものを、フィクションというクッションの力を借りて受け止めることなのだ。辱(はずかし)められ傷つけられながら、たとえ尊厳を回復できなくとも、それでも『人間』であることだけは手放すまいとする小説の人物たちの姿に触れて、揺り動かされ活性化された想像力は、僕たちの心を、まなざしを、必ずや自分の足元に向けさせる。そして僕たちは、自分の生きる土地に同じような物語があることに気づくのである。・・」

 小野さんの文章の一部分を紹介しました。

写真出典:
http://www.amazon.co.jp/%E4%B9%9D%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A-%E5%B0%8F%E9%87%8E-%E6%AD%A3%E5%97%A3/dp/4062192926

Contactお問い合わせ

お気軽にご相談ください。

Tel.026-234-2301

Fax.026-234-2303

error: Content is protected !!