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校長講話

201504.03

校長講話_19「平和を実現する人は幸いである ~始業式より」

IMG_9215.JPG(聖書朗読)
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節)

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイによる福音書5章43~48節)

 新年度が始まりました。こうして、新しい年度が迎えられたことに感謝しましょう。

 さて、今度の日曜日は、教会の暦では、復活祭、イースターです。イエス・キリストが死から復活したことをお祝いする日です。昨日の木曜日は、イエス・キリストが弟子たちと最後の晩餐をおこなったことを記念する日でした。今日、金曜日は聖金曜日と言われ、イエス・キリストは金曜日に十字架にかけられたとされています。そして、3日後の日曜日に復活をなさいました。春は、キリスト教では、最も喜びに満ちた季節です。

 先程、読んで頂いた聖書の箇所は、ガリラヤの丘でイエスが弟子たちに語られた言葉です。マタイによる福音書の5章9節をもう一度読んでみます。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

 では、平和を実現する人々とはどのような人のことを言うのでしょうか。先程読んで頂いたもう一箇所にそのことが書かれています。

5章43~48節です。一部をもう一度読みます。
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

 皆さんが毎朝唱える長野清泉の祈りにはこうあります。
 「あなたが愛して下さるように わたし達が 自分と 友とを ありのまま受け入れることができますように」

 神様は、私たちが何かが出来たから、あるいはこんなことをしたから、私たちを愛しているのではありません。私たちがどのようであっても、私たちの存在そのものを愛して下さっています。そのように、私たちも、自分と友とをありのまま受け入れることができるようにと、長野清泉の祈りでは祈ります。

 イエスは、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。」「自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。」と言っています。長野清泉の祈りで私たちが祈っていることに通じることです。

 それはとても難しいことです。時には自分を嫌いになったり、また友だちのことを受け入れられなくなったりします。けれども、私たちは自分と友とをありのまま受け入れられるようにと毎朝、お祈りをします。それは、イエスが言うように、平和を実現するためです。

 今年は皆と仲良くなることを心がけて下さい。苦手だなと思う人とも話してみましょう。あらたな発見があるかもしれません。

 平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。クラスに、学校に平和を実現するように、努めていきましょう。

 最後に、今年の学校目標は、昨年と同じで、「神の み前に 清く 正しく 愛ふかく」としました。常にこのモットーを心に留めて、行動してもらえたら、嬉しいです。以上で、私の話を終わります。

(2015年4月3日、中学1学期、高校前期始業式より)

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