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校長講話

201602.04

校長講話_42「一つの言葉」

IMG_5830.JPG 今朝は一つの言葉を紹介したいと思います。

 哲学者の鷲田清一さんが、朝日新聞で「折々のことば」というコラムを持ち、毎朝一つずつ短い言葉を取り上げています。取り上げる言葉は、外国の哲学者の言葉、日本の小説家の言葉、ミュージシャンの言葉、英語の慣用表現、喫茶店の張り紙、柿本人麻呂の和歌、など実に様々です。皆さんの中にも、毎朝読んでいるという人がいることでしょう。

 今朝、皆さんに紹介したい言葉は、今年の1月21日に鷲田さんが「折々のことば」で取り上げた言葉です。それは次の言葉です。
 「目は臆病 手は鬼」
もう一度、お読みします。
 「目は臆病 手は鬼」

 さて、この言葉にはどんな意味があると思いますか。

 鷲田さんによると、この言葉は東北の三陸地方に伝わるもので、次のような場面で使われたそうです。東北の気仙沼の魚問屋で、ある日大きな宴会があった。その宴会の後、下げたお皿の山を見て、「これからこの沢山の食器を洗って片付けなければならない」と、魚問屋の人たちがため息を付いた。すると、そこのおかみさんが「目は臆病 手は鬼」と言ったそうです。これから片付けなければならないとても沢山のお皿を見て、怖気づいてしまう、そのことを「目は臆病」と言いました。けれども、とりあえず手を動かして片付けに取り掛かってしまえば、体が自然に動いて、初め思っていたよりも早く片付いていく。それを「手は鬼」と言い表したのです。

 私にも思い当たることがあります。皆さんにもきっと思い当たることがあるのではないでしょうか。
「目は臆病 手は鬼」、良い言葉だと思いました。

(2月3日、放送朝礼より。写真と本文とは関係がありません。)

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