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校長講話

201603.05

校長講話_45「2015年度高校卒業式式辞」

IMG_7277.JPG 新しい命の躍動を感じるこの春に、本日このように卒業式を行えることを心から感謝します。高校3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんは、この長野清泉女学院で、3年間、また6年間をお過ごしになりました。皆さんが学業を修め、この学院を巣立って行くことは少し寂しいことではありますが、私たちの大きな喜びです。保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。皆さまの深い愛とお導きによって卒業生の今日の日の姿があるのだと思います。壇上から大変失礼ではございますが、ご来賓の皆さまには、いつも本校を様々な場で支えて頂き、また本日はご多忙の中、卒業式に御臨席を賜りましたことに、感謝申し上げます。

 さて、本日は「勇気」についてお話をしたいと思っています。勇気、今まで皆さんはどんな場面で勇気を出してきましたか。私は、勇気は大きく分けて2つのタイプに分けられるのではないかと考えました。一つは、自分のために出す勇気、もう一つは他者のために出す勇気です。この2つのものは明確に線が引けるわけではなく、重なる部分も多いはずです。自分のために出す勇気、他者のために出す勇気、どちらにより価値があるとは言えません。共にかけがえのないものです。今日は幾つかの勇気の姿のようなものがお話し出来ればと思います。

 まず、自分のために出す勇気についてです。私は昨年の秋から今年の初めにかけて、中学3年の皆さん、高校3年の皆さんと面接をしました。そこで、お聞きしたことを紹介します。高校3年のある方は次のことを話してくれました。

 彼女は中学生の時にやる気を出せず、変わらない自分が嫌いだったそうです。変わるチャンスを見つけられなかった、と彼女は言います。高校を受験する時に、担任の先生から「君は清泉が向いているんじゃないか。」と言われ、定まった学校説明会の日ではなく、授業のある土曜日に個人で本校を訪れ、校舎内を見学しました。ちょうど掃除の時間だったそうです。本校の先生に案内されて、校舎内を歩いていると、何人かの生徒が「こんにちは。」と声をかけてくれる。その時彼女は思ったそうです。「今度は少し勇気を出して、私から生徒さんに『こんにちは。』と声をかけてみよう。」と。そして実際に勇気を出して掃除をしている生徒に「こんにちは。」と声をかけました。すると、「こんにちは。」と明るい挨拶が返ってきました。彼女は思いました。「今までの自分を変えてこの学校で人間として成長したい。明るい笑顔で挨拶できる人になりたい。」と強く思ったのです。

 少し勇気を出して、自分から「こんにちは。」と挨拶をした。これは今までの自分を変えようとする、自分を変えるための勇気です。彼女は清泉に来て大きく変わることが出来たそうです。素晴らしいことだと思います。先程お話しした勇気の2つのタイプで言えば、この勇気は「自分のため」のものです。

 次に中学3年生が話してくれたことです。中3の清泉祭が近付いてきて、中学校最後の清泉祭だから今まで以上に楽しみたいと思った。清泉祭を楽しむためには積極的に関わることだと思い、ステージ発表の、クラスパフォーマンスのキャストに立候補しました。これはやはり、勇気を必要とすることでした。1、2年生の時には立候補はしなかったそうです。そして、キャストへの立候補だけではなく、パフォーマンスの台本担当にも立候補をしました。彼女は、このことで「自分が変わった。」と言います。自分が今まで以上に清泉祭を楽しむために、より積極的に関わっていく、これも「自分のため」の勇気だと思います。そして、彼女の積極性は、結果的に、クラスにも貢献しているはずですから、「他者のため」の勇気でもあっただろうと感じます。個人が変わる。そして、変わる個人が多くなれば集団が変わる。そして、社会も変わっていきます。

 次に、「他者のため」の勇気についてお話しします。昨年は、安全保障関連法案が国会で可決成立し、日本の国のあり方が今までにないほど大きく変わった年であると、私は思っています。放送朝礼、全校集会の場で、「時には宿題よりも大切なことがある」というテーマで2度程、私個人として考えていることを皆さんにお話ししました。ここではそれを繰り返しませんが、それらの話の中で皆さんに望んだことだけ、もう一度お話しします。

 今、この国で議論されていること、行われていることが、一体どのようなことなのかをしっかりと理解し、それを正しいことと考えるのか、それとも間違っていることと考えるのか、皆さん自身で判断してほしいということをお話ししました。

 昨年、国会議事堂前に多くの人々が集まったことは皆さんの記憶に鮮明に残っていることでしょう。SEALDS(シールズ)という若者たちのグループについても度々報道がなされました。代表者の明治学院大学の学生、奥山愛基(あき)さんは国会議員の皆さんに次のように呼びかけました。

 「自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して、孤独に思考し、判断し、行動して下さい。」
 「勇気を出して」という言葉が耳に残ります。国会議員の皆さんに奥山さんが求めた勇気とは、他者のための、国民のための勇気であったのでしょう。

 昨年、9月21日から23日まで日本カトリック「正義と平和」全国集会が東京で行われました。39回目となる大会のテーマは「戦後70年の今こそ、地上に平和を」でした。初日は上智大学の中野晃一教授が講演を行いました。その中で中野教授は、国会前に集い、自分たちの信じたことに基づいて意見を述べる学生の中心メンバーの多くが、キリスト教学校の在籍者や卒業生であることに触れ、その勇気を称賛しました。ここで述べられた勇気とは「自分のため」の部分もあるでしょうが、「他者のため」のものだと私は思います。この社会のあり方に対して勇気を出して声を上げる。それは、これから生まれてくる未来の世代にどのような社会を引き継いでいくか、ということのような気がします。未来の世代のために今、勇気を出して声をあげる。そういう見方をすると、皆さんも私も立場に違いはないと言えます。

 私たちの学校及び姉妹校が大切にしているものが、「清泉の教育の根本精神」という文章にまとめられています。そこには次の一文が記されています。

 「正しいことは信念をもって決断し、たとえ一人でも実行にうつす勇気と自由を持つ。」
もう一度お読みします。
 「正しいことは信念をもって決断し、たとえ一人でも実行にうつす勇気と自由を持つ。」
とても難しいことではありますが、「たとえ一人でも実行にうつす勇気と自由を持つ」ことを清泉で学んだ生徒、学生は求められているのです。私たち、教職員が求められていることは言うまでもありません。

 最後になりますが、使徒パウロについてお話しします。パウロは自分のための勇気と、他者のための勇気をどちらも非常に強く持っていた人ではないかと思います。敬虔なユダヤ教徒である自分を180度変える勇気を持ち、ユダヤ人からは異教徒と呼ばれる人々の中に大胆に入って行き、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、他者を一人でも多く救いに導くためにその一生を捧げました。

 そのようなパウロに復活したイエス・キリストが言葉をかけます。
 使徒言行録(しとげんこうろく)23章10節から11節をお読みします。
 こうして、論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた。その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

 イエス・キリストは「勇気を出せ。」とパウロに語りかけます。そしてパウロは多くの困難に立ち向かいながら、イエス・キリストのことを伝え続けていくのです。

 私は、今日の話の最初に、今まで皆さんはどんな場面で勇気を出してきましたか、と尋ねました。これから、皆さんはどんな時に勇気を出していくのでしょうか、皆さんだけではなく、私自身も、これからどんな時に勇気を出すのだろうか、とふと考えます。清泉で学ぶ者、学んだ者、働く者は「正しいことは信念をもって決断し、たとえ一人でも実行にうつす勇気と自由を持つ。」、このことは心のどこかに置いて忘れないでいてほしいと思います。皆さん、時に勇気を出してこれからの人生を歩んでいきましょう。

 以上を、私の皆さんへのはなむけの言葉と致します。

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