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校長講話

201603.31

校長講話_46「キリシタン大名・ユスト高山右近」

DSCF4966.JPG 今年の1月23日の信濃毎日新聞に、戦国時代から江戸時代の初めにかけて生きた、キリシタン大名高山右近についての小さな記事が載りました。バチカンのローマ教皇庁が、高山右近を「福者」に認定したという記事です。「福者」の福は幸福の「福」です。福者とは、カトリックにおいて最高の崇敬対象である「聖人」に次ぐ尊敬の対象となる人のことを言います。

高山右近は父親の影響で、12才でキリスト教の洗礼を受けます。右近の人柄に触れ、多くの大名がキリスト教徒になったと言われています。

2月の土曜日の放送朝礼で地理・歴史科の先生が二十六聖人についてお話をして下さいました。そのお話しの中で触れられた豊臣秀吉のバテレン追放令により、高山右近は大名としての領地と財産を全て失いました。彼は自分の信仰を守ることを選んだのでした。その後、徳川家康のキリシタン追放令により、1614年、マニラに追放されます。その翌年、その地で64歳の生涯を閉じます。右近には別の選択もあったのですが、クリスチャンとしての一生を貫きます。

高山右近を福者にという願いは、日本が戦争に敗れ、新しい世の中になった時、カトリック教会の中で徐々に強まってきたということです。昨年、2015年は戦後70年ということが度々言われましたが、高山右近がマニラでなくなってからちょうど400年にあたります。日本のカトリック教会は、「高山右近を福者に」という長年の願いをかなえるために、2014年に正式な申請書をローマ教皇庁に提出しました。教皇庁は何段階かの審査を行い、1月の21日に教皇フランシスコが承認しました。

高校の聖地巡礼の旅で皆さんが訪れる日本二十六聖人記念館には、二十六聖人の記念碑を制作した彫刻家船越保武の「右近像」が置かれています。是非、見てきて下さい。400年前の日本のクリスチャン、私にはとても興味深いです。この機会に高山右近の生涯を調べてみようかと思います。

(2016年2月10日、放送朝礼より。)

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