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校長講話
201703.25
校長講話_73「2016年度中学校卒業式式辞『”続ける”ということ』」
皆様、お早うございます。おかけ下さい。
様々な命の躍動する春のこの日、今年もこのように長野清泉女学院中学校の卒業式を行えることを感謝致します。
中学3年生の皆さん、卒業おめでとうごございます。皆さんは人生で最も感受性が豊かな青春期の3年間をこの長野清泉女学院中学校で過ごしました。私は、様々な場で皆さんの成長した姿に接し、感心したり、驚いたりすること、しばしばです。
保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。子どもたちは自分の力だけで成長することは出来ません。本日卒業式を迎えることができたのも、保護者の皆さまの大きな愛があったからこそと、感謝致します。
ご来賓の皆さま、いつも本校のことを想って下さり、見守って下さっていることに感謝申し上げます。また、本日は卒業式にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。
本日は、「続ける」ということについてお話し致します。
「続ける」ということについて、2つの具体的な例で考えてみたいと思います。
まず、自分の意志であることをし続ける、場合についてです。杉野英美(ひでみ)というパティシエ、お菓子作りの職人がいます。杉野さんは東京の京橋でお店を開き、日本を代表するパティシエの一人です。
杉野さんは若き日に、フランスでお菓子作りの修行をします。休日になるとパリ中のお菓子屋を巡り、お菓子を食べ続けます。そして、ある日、ついにここが私の目指すべき味のお菓子を作る店だという一軒のお店を見つけるのです。
杉野さんはそこのお店のパティシエに「是非自分を弟子にしてくれ」と頼みます。しかし、腕も実績もない杉野さんのことを、そのお店のパティシエは全く相手にしてくれませんでした。普通であれば、この時点でそのお店で働くことはあきらめてしまうかもしれません。けれども杉野さんはあることを「続ける」ことを始めます。杉野さんの初めたことは、そのお菓子屋のパティシエに手紙を書くことでした。修行先を転々としながら、「あなたの店で働かせて下さい」という手紙を出し続けます。あこがれのお店のパティシエからは何の返事もありません。皆さんだったら、返事のこないお店にどの位手紙を書き続けますか。半年でしょうか、1年でしょうか、それとも2か月くらいでしょうか。
杉野さんは、その店で働く、そのパティシエのもとで働く、ということをどうしても諦めることができませんでした。1年経っても、2年経っても、3年経っても、返事の来ないそのお店のパティシエに手紙を出し続けます。何故、杉野さんはそれだけ続けることができたのか。それは自分の夢を諦めることが出来なかったからです。そして、杉野さんの思いの強さがついにそのパティシエの心を動かします。手紙を出し続けて4年目のある日、返事がきます。そこには、「明日から私の店にきなさい」と書かれていました。杉野さんの驚きと喜びはいかばかりであったでしょう。彼はそのお店で働くことがかない、様々な発見をし、自分の菓子作りに欠かせない多くのものを学んでいきます。真心をもって手紙を書き続けたことが、多くの実りをもたらしたのです。
さて、今お話ししたことは、「あることを続ける」ということでした。しかし、「続ける」ことには、「しない」ことを続ける、という場合もあります。例えば、大人であれば、お酒を飲まないことを続けるといったことです。次に「何かをしない」ことを続けるということについてお話しします。何かをしないことを続けるということは、これはこれでエネルギーのいることです。場合によっては、「する」ことを続けるより、「しない」ことを続ける方が大変なこともあるでしょう。
私は今年の1月、ここにいる卒業生の皆さんと一人ずつ面接をしました。面接の時間は短かったですが、好きな本のこと、ご自分の名前にこめられた意味のこと、女子校の良い所、色々なことが聞けて、私にとってはとても楽しい時間でした。
一人の方はこんなことを話して下さいました。どうしてそういう話になったのか、よく思い出せませんが、多分私が、自分が意識して行っていることは何かありますか、とその生徒さんに尋ねたのだと思います。するとその方は、「私は昨年の秋から人の悪口を一度も言っていません。言わないようにしています。」とおっしゃいました。私はその言葉にある驚きを感じるとともに、強い印象を受けました。今日のお話しのテーマ、「続ける」ということで言いますと、彼女は「人の悪口を言わない」ことをずっと続けているのです。人の悪口はどんなことがあっても言わない、簡単なことではないでしょう。けれども、そういうことを自分で決めて続ける、というのはくだけた表現をすれば、私は「とてもかっこいいこと」だと思います。かっこよさにも色々ありますが、「人の悪口を言わない」と決めて、それを続けること、とてもかっこいいですよね。
最初にお話ししたパティシエの杉野さんは働かせてほしいと思ったお店のパティシエに手紙を出し続けます。次にお話しした中学3年生のお一人は「人の悪口を言わない」と決めてそのことを続けます。私は何かを続けるということは人を変えるのではないかと、と思います。何かを続けることで、今までの自分とは少し違った自分になることが出来るのではないでしょうか。「成長」あるいは、「より大きな人間になる」ことが出来ると言ってもいいのかも知れません。
最後に聖書を一箇所お読みします。マタイによる福音書7章7節、8節です。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
イエス・キリストがガリラヤで行なった「山上の説教」と呼ばれる有名な教えの一部です。
昨年、11月12日に本校にお招きし、講演をして頂いた山浦玄嗣先生にのことは、今月4日の高校の卒業式の式辞でお話をしました。山浦先生は今お読みした箇所を、ふるさとの方言、ケセン語に訳そうとしたときに、「ちょっと待てよ。」と思ったそうです。求めたからといって、簡単には与えられない、探したからといって、簡単には見つからない、それが人生ではないか。先ほどのイエスの言葉は少し、楽観的に過ぎるのではないか。
ある時、ギリシャ語の文法を勉強していた時に、山浦先生は大事なことを発見します。そして、今お読みした箇所を、先生ご自身のギリシャ語の勉強に基づいて、次のように訳しました。
「願って、願って、願い続けろ。そうすれば、貰える。
探して、探して、探し続けろ。そうすれば、見つかる。
戸を叩いて、叩いて、叩き続けろ。そうすれば、戸を開けてもらえる。
誰であれ、願い続ける者は貰うであろうし、探し続ける者は見つけるであろうし、戸を叩き続ける者は開けてもらえる。」
山浦先生の訳を読むと、イエス・キリストも「続ける」ということを強調していることがわかります。4月からの新しい高校生活で、何かを続けるということに是非、チャレンジして下さい。そのことはきっと皆さんを変えていきます。
本日は「続ける」ということについてお話ししました。以上を式辞と致します。