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校長講話

201711.08

校長講話_87 84回目の11月9日

毎年、この時期にお話ししていますが、今朝も長野清泉の歴史について少しお話ししたいと思います。

founder_rafaela_syudoumae_zu05-s.jpg本校の創立者、聖ラファエラ・マリアが、スペイン、コルドバに生まれたのは1850年です。1850年の日本と言えば、鎖国が続いていましたが、1853年にはペリーの黒船が来航し、新しい激動の時代を迎えようとしていた頃です。5-1.jpg

ラファエラ・マリアが生まれた1850年から、84年の時間を経て、ラファエラが創立した聖心侍女修道会の4人のシスターが日本にやってきます。修道会の精神に沿った教育を日本で行うためです。4人のシスター方が日本に着いたのが、1934年の11月9日です。明日、11月9日は清泉の原点とも言える日ですので、皆さんも是非、心に留めておいて下さい。

歴史を見ると、どんな時代にも困難はあり、平穏無事な時代というのはそうはないように思います。4人のシスター方が日本にやって来た時代は、日本の歴史の中でも大変な時代でした。シスター方が来日する少し前の1931年には、満州事変がおこっています。また、来日後しばらくして、中国との戦争も始まり、続いて、アメリカとの太平洋戦争が始まります。そのような時代の中で、シスター方は日本での教育活動を、理想に燃えて続けていきます。しかし、広島、長崎に原爆が落とされる前年の1944年には、東京にいることが許されず、長野の地に疎開をさせられます。せっかく東京に作った清泉寮も、1945年3月10日の東京大空襲で全焼してしまいます。

1945年の8月15日、終戦の日を、シスター方は野沢温泉で迎えます。敗戦の混乱の中で、今後の見通しも立たない中で、疎開先の長野で学校を作る決断をします。1年後の1946年には早くも本校の前身となる長野清泉寮学院を開いています。シスター方の行動力、エネルギーには、驚かされます。

繰り返しになりますが、ラファエラ・マリアが生まれて、84年後に4人のシスターが日本にやってきました。そして、4人のシスターが日本に来てから、今年で83年になります。長い時間が流れています。明日は84回目の11月9日です。本校の歴史に、思いを馳せましょう。

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