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校長講話

201803.28

校長講話_96「2017年度中学校卒業式式辞『自分のルールを持つ、ということ』」

 城山一帯が春の装いを整えようとしているこの日に、長野清泉女学院中学校の卒業式を行えることを感謝致します。

 中学3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。私は様々な場で皆さんが成長していく姿を目にし、頼もしく思うこと、しばしばでした。

 保護者の皆さま、本日はおめでとうございます。卒業生がここまで歩んでこられましたのも、保護者の皆さまの愛と支えがあったからこそと、思います。

 ご来賓の皆さま、いつも本校のことを心に留め、見守って下さっていることに心より感謝申し上げます。

 今朝は、「自分のルールを持つ」ということについてお話ししようと思います。ただ、前置きの部分が少し長いので、皆さん、あまり緊張しないで、聴いてほしいと思います。

 皆さんは帝国ホテルを知っていますか。東京の日比谷公園に面した日本を代表するホテルの一つです。これからお話ししたいのは、その帝国ホテルで長年、料理長を務めた村上信夫というフランス料理のシェフについてです。2005年にお亡くなりになりましたが、今も村上信夫の料理は語り継がれています。保護者の皆さま、ご来賓の皆さまの中には、きっとご存知の方がいらっしゃることと思います。今日も続くNHKの長寿番組、「きょうの料理」の講師を務め人気を博しました。また、「バイキング」と言う料理のスタイルを日本で広めたことでも知られています。

 私は昨年、村上信夫の自伝を読んでとても感銘を受けました。まず、彼の人となりを紹介します。村上さんは1921年生まれですので、日本とアメリカとの戦争、太平洋戦争が終わった1945年には24歳でした。1945年には皆さんもご存知のように広島と長崎に原子爆弾が落とされました。青春時代を戦争の時代の中で過ごしたと言えます。1940年に帝国ホテルに入社しますが、翌年に太平洋戦争が始まり、陸軍に入隊します。帝国ホテルの調理場からは、村上さんを含め、13人が軍隊に入りましたが、生きて帰って来たのは3人だけだったそうです。自伝の中で、戦場の様子が記されています。こういう証言は語り継がれていかなければならないと考えますので、やや長いですが、お読みします。皆さんにとってはショッキングな部分もあるかと思いますが、お聞き下さい。

 「作戦に参加して、戦いの最前線に身を置くことが増えてきた。激戦に次ぐ激戦に遭遇して、死とはいつも隣り合わせだった。大砲の車輪に命中して飛び散った銃弾の破片が右のまぶたの上とみけんに、機関銃弾の破片が肩と背中に突き刺さった。痛みは感じない。ただ、ものすごく熱かった。私はすさまじい激闘の最前線に身を置いていた。大砲についている防盾(ぼうじゅん)にカツン、カツンと弾が当たる。照準用の小窓から弾が飛び込んでくれば、照準手の私の命はない。すれすれのところに弾がぶつかってくる。まぶたの上の傷からあふれ出る血潮が目をふさいだが、懸命に照準を合わせて撃ち続けた。」

 以上で、引用を終わりますが、これが戦争のひとつの現実です。今、盛んに憲法改正の話が出ていますが、皆さんは中学生と雖も、是非、関心を向けて、新聞を読んでほしいと思います。

 さて、自伝の中で最も印象深かった部分を紹介します。「自分のルールを持つ」という今朝のお話のテーマにつながります。村上さんの修業時代の料理人の世界はとても厳しいものでした。先輩が後輩に親切に色々と教えてくれるということは全くない。後輩は必死で先輩の技を盗もうとするが、先輩は盗ませない、そういう世界です。村上さんの帝国ホテルでの最初の仕事は調理場で鍋や皿を洗うことだったと言います。最初、鍋の底に残ったソースを指ですくって味を覚えるつもりだったのですが、シェフたちから回って来る鍋には石鹸水が入っていたそうです。ソースをなめるどころではありません。

 ある時、彼は誰にも「やりなさい。」と言われたわけでもないのに、自らあることを始めます。鍋を洗う時洗い場の人たちは鍋の内側はきれいに洗います。しかし、外側はきれいにする必要がないから、ざっとしか洗いません。鍋の外側には料理の染みなどがこびりついています。

 村上さんは小学生の時にご両親を亡くし、小学校を出るとすぐに働かなければなりませんでした。様々な仕事をする中で、少しずつ人に言われたことをするだけではなく、自分の頭で考えて行動することとの大切さを学んでいきます。人の嫌がることも「勉強の場」だと信じ、自ら手を挙げてやっていきます。ちょうど皆さんの年頃のことです。そして、「自分自身のルール」を持つことを覚えていったのです。「自分自身のルールを持つ」ことについては後程お話しします。

 鍋磨きの話に戻ります。彼は自分の中で、鍋の内側だけではなく外側もきれいにしようと決め、実行します。長年、外側は磨かれていないので、かなりの重労働です。午後の休憩時間に休みたいのを我慢して2か月くらいかけて各部署にある二百くらいの鍋をきれいにしました。

 先程お話しした様に先輩は後輩に対して厳しいため、ソースの残った鍋が回ってくることはありません。ところが、ある時、石鹸水の入っていない、おいしそうなソースの残った鍋が村上さんのところに回って来たそうです。彼は驚きました。そして、担当のシェフを見ると、そのシェフは小さくうなずきました。「ソースをなめて、味を覚えろ。」と言っているのです。村上さんは驚くとともにとても嬉しくて、鍋の底に残ったソースを一生懸命になめて、味を舌に覚え込ませました。

 そのうち、ソースの残った鍋が回ってくることがだんだんと増えて来たそうです。先輩のシェフたちが村上さんにだけ鍋を回してくれるのです。誰に言われるのでもなく、鍋の外側を磨いたことがシェフたちに気付かれたのです。彼は気付いてもらいたくて鍋を磨いたわけではありません。自分でやろうと自分に約束し、自分のルールに従って行動しただけです。

 当時、帝国ホテルでは二百種類くらいのソースを作っていたそうです。先輩の回してくれる鍋のスースの味を一つずつ覚え、自分なりに素材の分量を想像して、小さなメモ帳にメモをしていきました。

 ここで、このエピソードについて考えてみたいと思います。私は世の中には二種類のルールがあるのではないかと思います。一つは皆が守るルール、もう一つは自分が決めた自分のルールです。皆で守るルールも大切ですが、自分のルールというのもとても大切なものだと私は考えます。村上さんの鍋磨きは世の中で決められたものではありません。調理場で働くからには、その一つ一つの道具をきれいにし、ていねいに扱う、という村上さんが自分で決めたルールです。

 自分のルールを決める、ということで思い出す皆さんの先輩の言葉があります。卒業前の面接で一人の先輩が次の様に言いました。「私は去年の秋から人の悪口を一度も言っていません。言わないようにしています。」と言ったのです。彼女の決めた自分のルールです。

 自分で決めたルールの特徴は、そのルールを守ることで自分らしくいられる、あるいは、自分で自分のことを嫌いにならずにすむ、ということではないかと私は考えます。皆さんの先輩は、「人の悪口を言う」自分は、自分で好きになれないから、「人の悪口は言わない。」と決めたのではないでしょうか。

 私は、「自分のルール」を持つことは大事なことではないかと思っています。人から言われたのではなく、自分自身の様々な経験から、自分が自分に約束する、「自分のルール」を作っていく。そういうルールを持っている人は魅力的です。

 最後に聖書の言葉を皆さんに贈って話を終えたいと思います。イエス・キリストの弟子であるペトロの書いた「ペトロの手紙その一」の3章の3節、4節です。

 お読みします。

 「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

 もう一度お読みします。

 「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

 この「内面的な人柄」の大きな部分を占めるのは、その人が自分に約束した「自分で決めたルール」ではないかと私は考えます。

 4月から始まる高校生活で、「内面的な人柄」を豊かに育てていってほしいと願っています。

 本日は「自分のルール」ということについてお話ししました。

村上信夫 に対する画像結果村上信夫氏

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