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校長講話
201804.12
校長講話_98「中高入学式式辞 『出会いについて』」
今年は暖かい日が続き、ここ城山も例年より早く桜の季節を迎えようとしています。この前の日曜日は、イエス・キリストの復活をお祝いするイースターでした。イースターで始まったこの喜ばしき週に入学式を行なえることを感謝致します。
中学1年生の皆さん、高校1年生の皆さん、長野清泉女学院にようこそいらっしゃいました。
保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。皆さまは大切にお育てになったお嬢様を本校にお預けなさいます。皆さまの思いに応えられるよう、教職員一同努力してまいります。
ご来賓の皆さまにはいつも本校を様々な場で支えて頂き、また本日は入学式へのご臨席を賜り、感謝申し上げます。
本日は、「出会い」について私の経験を交えて、お話しさせて頂き、お祝いの言葉としたいと思います。
様々な出会いがあります。映画や絵画など芸術作品との出会い、あるいは旅で訪れた土地やそこの人々との出会い、友との出会い、先生との出会い、良い出会いを重ねることで、人間は自分というものを作り上げていく、ということが言えるかもしれません。
この場では、人と人とが出会うことについて話してみたいと思います。「学校」という場は学問を修める場であると同時に人と人とが出会う貴重な場所であるように思います。
まず、私が出会った先生について少しお話しさせて下さい。新入生の皆さんの中にも、今までの学校生活を通して、自分の中で大切にしている、先生との出会いをお持ちの方がいるかも知れません。私も、幸い、「この先生と出会えて良かった。」という先生が何人かいます。最も影響を受けた先生は、小学校5、6年の時の担任、山岡清武という先生です。山岡先生からは、映画を観る喜びや、本を読む楽しさを教えてもらいました。
山岡先生との思い出は不思議な程、色々とあるのですが、今朝は本にまつわる思い出を紹介させてもらいます。山岡先生に導かれて、私は本と出合うことが出来ました。今から50年前の小学校はおおらかでした。先生は時折、教科の授業はよして、私達に本を読み聞かせて下さいました。時には1時間本を読んで下さり、次の1時間はその本についてのお話をして下さいました。私はその時間が楽しみでした。ある時、ある本を読んでくれました。ふと気付くと、先程まで教室の前の窓際で私たちに本を読んでいてくれた先生が、いつの間にかいなくなり、声だけが聴こえるのです。先生は教室の後ろに行っていました。先生はその本を読みながら、涙を流していました。その姿は今でも私の中に残っています。
また、ある時、一冊の本を紹介して下さいました。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』という本でした。この本は今から80年以上前の1937年に出版されました。昨年から今年にかけて、この本を原作とした漫画が出版され、200万部を超える大ベストセラーになりました。きっと皆さんの中にも読んだ方がいることでしょう。山岡先生にこの本を紹介されると、小学校6年生の私は地元の小さな本屋に行って、その本を買いました。その時買った本は今でも、本棚の一番いい場所に置いてあります。先日、久し振りに読み返しました。こういう本を小学生の私たちに「読みなさい。」と勧めてくれた山岡先生は、本当に子どもたちのことを考えていてくれた先生だったと、感謝の気持ちがあらためて、湧いてきました。
さて、私はずっと本校で英語を教えてきました。英語を教えると同時に、山岡先生との出会いによって私が得たものを、長野清泉の生徒たちに伝えたい、という思いが常にあったような気がしています。自分のことで恐縮ですが、授業では出来るだけ生徒たちに映画を見せてきました。私が山岡先生を通して映画に出会ったように、生徒達にも映画の持つ様々な魅力に触れてほしかったのです。本についても同じです。折に触れて、本の話をしてきました、皆さんにもしていきたいと思っています。感性の豊かな皆さんの年頃に本を読む喜びを知ることは、皆さんの一生の財産となると信じているからです。
今年、一枚の年賀状を私は嬉しい思いで、読みました。年賀状をくれた人は本校の39期生で、皆さんの大先輩です。こんなことが書かれていました。「『自分らしさ』って何でしょうね。今頃、ふとそんな事を真剣に考えています。最近先生のことを思い出し、本を読むようにしています。」とても暖かな気持ちになりました。山岡先生との出会いで私が受け取ったものが、少なくともこの卒業生には伝わっているのだと思いました。
最後に聖書のことをお話しします。新約聖書には、イエス・キリストと様々な人々との出会いの話がたくさんあります。新入生の皆さんに期待するのは、長野清泉女学院で是非、イエス・キリストに出会ってほしい、ということです。カトリックの信者になってもらいたい、と言うことではありません。イエス・キリストの生き方、語った言葉に触れ、皆さんがそれについて考えを巡らす、そういう時間を持ってもらえたらよいと思うのです。
イエスはその短い生涯で、色々な人たち、特に弱い人、自分に自信のない人、自分のことが嫌いな人、世の中で蔑まれている人、虐げられている人に声を掛け、自分のところに招きます。そして、イエスに出会った人々は変わっていきます。
イエスの時代に徴税人と呼ばれる人々がいました。年貢や関所の税など、様々な税を取り立てることが仕事の人々です。この人たちは決められた額に上乗せしてお金を集めては、自分の財布に入れていたので、人々から嫌われていたのです。新約聖書にはこの徴税人とイエスの印象的な出会いが記されています。一人はマタイ、もう一人はザアカイです。いずれ、皆さんは宗教の時間で学ぶことになると思いますので、ここでは詳しくは触れませんが、マタイもザアカイもイエスと出会ったことで、大きく変わります。マタイはイエスに声をかけられ、イエスの弟子になり、4つの福音書の一つ、「マタイによる福音書」を著し、イエス・キリストの言動を今日に至るまで伝えています。ザアカイは、イエスを一目見ようと木に登り、イエスの到着を待ちます。イエスは、木の上のザアカイに呼びかけ、その日はザアカイの家に泊まります。「徴税人の家なんかに泊まって。」と人々はイエスの悪口を言いますが、イエスはそんな言葉など気にも留めず、ザアカイの所に行きます。イエスに出会ったザアカイは、今までの自分の行いに気付き、財産の半分を貧しい人々に与えます。
「自分が変わる」という経験を皆さんはしたことがありますか。「自分が変わる」という経験、しかも自分自身が望む方向に「変わる」ということは、簡単なようで、なかなか難しいことです。私は良い「出会い」にはそういう力もあるのだと思います。
これから皆さんの過ごす6年間、あるいは3年間で、皆さんにとって良い出会いが一つでも多く生まれることを願っています。