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202004.17
校長講話_NO.143「70期生卒業式 式辞 『旅立ちにあたって、皆さんに伝えておきたいこと』」
1. はじめに
今回はこのような形で、皆さんに文書で式辞をお渡しすることになりました。当初、これからここに記すこととは別のことを卒業式でお話ししようかと考えていましたが、あれこれ考えた末、以下のことをお伝えしようと決めました。
コロナウイルスの出来事がなければ、先週の2月27日の皆さんの登校日に、「校長講話」として2時間お話をすることになっていました。この場では、2月27日に皆さんにお話ししたいと思っていたことを記してみたいと思います。
皆さんの旅立ちにあたって、どうしても伝えておきたい2つのことがあります。
一つ目は、これから苦しくてどうにもならない時が訪れるかも知れません。そんな時にはその場から逃げ出してしまう、ということも、あってよいということ。
もう一つは、自分にとってとても辛い体験であったとしても、そのことが皆さんの世界をより広げていくことになることがある、ということです。
この2つのことを是非、心に留めておいてほしいとい思います。
2. まず、聖書の言葉から
「何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、躍る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。」
旧約聖書 コへレトの言葉 3章1節~8節
「何事にも時があり・・・」、これから皆さんは様々な出来事に出会うことでしょう。多分、その出来事はその時に皆さんが出会うべき出来事なのだよ、ということを上の聖句はいっているのではないかと思います。その時に、出来事の意味は分からない。けれども、後になって振り返った時、「あの時」、あの出来事に出会ったことは、自分にとって意味のあることだったんだとわかる時が来る。
私たちが人生を歩んでいくことにもし意味があるとしたら、上に述べたことはその意味の一つだと私は思います。
3. ある人物のこと
「はじめに」に書きました様に、この拙文で皆さんに2つのことをお伝えしたいと思っています。ただ、その2つのことは、抽象的な言葉で語っても、言葉だけが流れていってしまいそうです。そこで、一人の人物の体験を例に取らせて頂いて、2つのことをその人物の体験から考えてみたいと思います。
その人物とは、脚本家の倉本聰です。85歳になる今も健在で、現在、テレビ朝日で月曜日から金曜日のお昼に放送される『やすらぎの刻』の脚本を担当しています。随分前から環境について語り、人間社会のあり方を批判し、根源的な問いかけをしています。一方で、愛煙家として知られ、今も煙草を嗜み、『やすらぎの刻』でも登場人物が煙草を吸うシーンは、ほぼ毎回出てきます。愛煙家で、環境について発言する、というのは矛盾しているようにも見えます。想像するに、地球の環境のことを考える時、煙草などは取るに足らないものだ、他にもっと大切なことがある、と倉本さんは考えているのではないでしょうか。(私は喫煙を勧めているわけではありません。念のため。)
振り返ってみますと、私は倉本聰から折に触れて色々なことを学んできたように思います。「人生の先生」というものがあるとすれば、私にとって彼はその一人です。
その倉本聰の生き方から大切な2つのことを皆さんに伝えることが出来たら、というのがこのやや長い文章の目的です。
4. 苦しくてどうにもならない時はその場から逃げ出してもいいということ
倉本聰がその半生を振り返った『愚者の旅』という本の中で、「苦しくてどうにもならない時」のことが書かれています。彼がNHKの大河ドラマの脚本を担当していた時にあるトラブルが起こりました。大河ドラマの脚本を書くということは脚本家にとって大変名誉なことであると同時に大きな責任を伴う仕事でしょう。ところが、ある雑誌のインタビューを受けたことがきっかけで、彼は脚本担当を途中で降りなければならないところまで追い込まれてしまいます。全国のマスコミがその件を大きく取り上げました。その時、倉本さんはどうしたと思いますか。皆さんだったら、どうするでしょうか。少し考えてみて下さい。
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倉本さんは「逃げた」のです。何もかも放り出して東京から逃げ出したのです。向かった先は北海道です。目的があったわけではありません。
その時の倉本さんの気持ちを先程述べた『愚者の旅』から引用します。
「あの日、それからの屈辱と口惜しさを僕は一生忘れないだろう。
謝罪する以上弁明はしまいと心に強く決めていたのだが、昨日までの仲間が掌を返したように一人ずつ順に僕を誹謗(ひぼう)する吊し上げの波に、一時間以上僕は曝(さら)された。誹謗の理由は本読みを含むそれまでの僕の態度であり、そして今回の”内部告発”だった。ヤングレディで僕のしゃべったその内容には全く触れずひたすら僕という脚本家の人間性が標的だった。二十人近いスタッフの中で僕を庇ったのは二人だけだった。決して自慢できない自分のことは多少とも判っているつもりだったが、ここまでの憎悪、ここまでの攻撃に僕はショックを受け打ちのめされた。
やっと解放されNHKの西口を出た時、ふいに涙が胸底から突き上げた。この顔を家人には見られたくなかった。サングラスで目をかくしタクシーに乗って羽田と告げた。
北海道へそのまま飛んだ。
昭和四十九年六月十七日のことである。
どうしてこの時発作的に北海道へ飛ぶことを選んだのか、その理由は未だもってよく判らない。
北海道はからりと晴れていた。
かどうか、実は正確には覚えていない。しかし少なくとも僕の心には、その日味わった東京の灰色から一挙に空気が蒼くなった気がしたのはたしかだ。」
『愚者の旅』(倉本聰著 理論社)より
これは、是非、皆さんに覚えておいてほしいと思います。頑張っても、耐えても、どうしようもなくなってしまった時には、何もかも捨ててその場から逃げることも大切だ、ということです。つらくても、その場に居続けようとして、自分を追い詰めてしまう、ということを、私は今までに何回か見聞きしています。「その場に居続けて頑張る」ということも確かに大切な面があり、それによって人間は成長することがある。そのことは、否定しません。しかし、「限度」というものがあると思います。限度を超えてまで頑張る必要はありません。
5. つらい体験が自分の世界を広げることがあるということ
さて、二つ目に皆さんに伝えておきたいことです。皆さんは『北の国から』というテレビドラマを知っていますか。皆さんの保護者の方はご存知の方が多いのではないかと思います。純と蛍の兄弟が北海道の富良野で成長していく姿が描かれています。お父さんの五郎に時に厳しく、時には包み込むような優しさで見守られながら。
このドラマのユニークなところは20年にわたって純、蛍、五郎と彼らに関わる人々の人生が描かれるところです。ドラマの第1話では小学校4年生だった純は、最終話では30歳を超えています。これだけの長い時間、ひとつの家族のあり方を追ったドラマは類をみないのではないでしょうか。
倉本聰は「逃げて」行った北海道で、「富良野塾」という授業料は取らない、脚本家と俳優の養成塾を開き、北海道を舞台にした『北の国から』を書きます。富良野塾は1984年から2010年まで、26年間開かれました。皆さんの先輩にも富良野塾の卒業生がいます。先週27日の講話では彼女のことも話すつもりでした。
富良野塾、『北の国から』は共に今までなかったタイプの塾であり、ドラマでした。そして単に今までなかったということだけでなく、日本社会の中で確かな存在感を示し、多くの人々の生き方に影響を与えました。そして、これは想像ですが、倉本さんにとって、その2つのものは人生そのものだったに違いありません。
ここで、立ち止まって考えてみます。富良野塾も、『北の国から』も「4」で述べた、東京を逃げ出してしまうほどの大きな挫折がなかったら、決して生まれなかったものだということです。そして、もっと覚えておきたい大切なことは、東京で、大河ドラマの脚本の仕事を降板した時、倉本さんは絶望のどん底にいて、自分の世界がこれから大きく広がっていくなどということは、夢にも想像していなかったということです。悲しみしかそこにはなかったはずです。
しかし、実はその時の挫折が「一粒の種」だったのです。その種は芽を出し、大きく育っていきました。
6. ふたたび、聖書の言葉を
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリント信徒への手紙 一 第10章13節
多くの困難に出会いながらキリストの福音を伝え続けたパウロの言葉です。是非、胸に留めておいて下さい。
7. おわりに
お忙しい中この式辞の表紙の題字を小林美恵子先生にお願いしました。心よく引き受けて下さ っただけでなく、素敵な写真まで選んで下さいました。信太一郎先生には味わい深いカットを二枚も描いて頂きました。お二人の先生に感謝致します。
長い文章になってしまいました。ここまで読んで下さったあなたに、心から「ありがとう!」と言いたいと思います。学校は「人生の港」です。嬉しい時も、悲しい時も、立ち寄って少し休んでいってもらえれば、私たちにとってそれに勝る喜びはありません。
それでは、良い旅を! Good Luck!
城山公園でくつろぐ子供や家族連れ(2019年3月19日撮影)