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清泉メッセージ
201702.09
No122「ユスト高山右近の列福式に参列して」
私は昨日(2月7日)、大阪城ホールというところで、ローマ教皇フランシスコの代理として日本へ遣わされた、アンジェロ・アマート枢機卿閣下の司式で、ラテン語にて執り行われた、ユスト高山右近の列福式に参列してきました。
先ず、列福式についてですが、カトリック教会では、その信仰に殉じた人や、優れた信仰を証しした人で、特に私たちの手本となるような偉大な人物を、聖人という位に列し、世界中のカトリック教会で、永遠にその名を崇め、祝福しています。
私たち長野清泉の設立母体である、聖心侍女修道会の創立者である、聖ラファエラ・マリアもその聖人の一人です。そして、その聖人の位に列せられる前の段階が、福者という位になります。つまり、高山右近は昨日、その福者の位に列せられた、ということになるわけです。
みなさんの中には、高山右近という名前をご存知の方もきっとおられることでしょう。時は戦国の世、織田信長の時代に、大阪北部の高槻というところの城主でありました。子どもの頃、家族と一緒に、当時のキリシタンの洗礼を受け、ユストという洗礼名を授かりました。ユストとは、義の人、という意味です。戦国大名として有能であった右近は、信長や、その後継者となった豊臣秀吉に仕え、重用されます。しかし、秀吉が伴天連追放令を出したとき、彼は秀吉に、自らの信仰を棄てて大名として生きるのか、大名という立場を棄てて自らの信仰のために生きるのか、選択を迫られます。
義の人であった右近は、躊躇なく、自らの信仰のためだけに生きることを選び、そのために、秀吉によって大名の位置を剥奪され、領地も奪われ、追放されてしまいます。そして、今の石川県である、加賀の前田利家に預かりの身となった右近は、一信者として、キリシタンの教えを宣べ伝えたり、利家のもとで、茶の道を究めたりしながら過ごしました。
やがて秀吉が死に、徳川幕府の世となり、切支丹禁教令が出されると、右近の家族は長崎を経て、日本からフィリピンのマニラへ追放の身となります。しかしそこでは、現地の人々から大歓迎を受け、大きな尊敬も受けました。ところが、マニラに到着後すぐに、大きな病を得、亡くなります。63歳の激動の人生でした。今でもマニラの人々にとって、右近の存在は、大きな心の拠り所となっているそうです。
今の時代に生きる私たちは、特に日本人として、ユスト高山右近が、義を貫き通し、自らの信仰に忠実に生きた、その生きざまから、学ぶべき事が多いのではないでしょうか。
(2月8日、放送朝礼より。 写真: 当列福式より)