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校長講話

202004.21

校長講話_NO.146「2020年度高校入学式式辞『本当に大切なこと』」

 皆様、こんにちは。おかけ下さい。

 今年の冬は心配になる程の暖冬でした。今、世界中が新型コロナウイルスとの苦しい戦いを強いられています。本来であれば、中学、高校一緒に入学式を行うところですが、今年は少しでも大勢の人が密集するのを避けるために、別々に入学式を行うことに致しました。

 今度の412日の日曜日はイエス・キリストの復活をお祝いするイースターです。私たちにとってはクリスマスと並んで最も大切な日です。イースターの前の今週一週間は「聖週間」と呼ばれている週です。このような短縮した形ではありますが、イースターを迎えるこの週に入学式を行なえることを、ありがたいことだと思っています。

 高校1年生の皆さん、長野清泉女学院にようこそいらっしゃいました。保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。皆さまの思いに応えられるように教職員一同、努力してまいります。

 本日は、「本当に大切なこと」をテーマにして少しお話をしてみたいと思います。3人の人の行動、語ったことから、「本当に大切なこと」について考え、最後にこの3月卒業した生徒の書いた文章を紹介したいと思っています。

 まず3人のうちの一人目です。皆さまの中には覚えていらっしゃる方が多いかと思いますが、昨年12月、アフガニスタンで銃で撃たれてお亡くなりになった、中村哲さんのことをお話しします。今日の話のテーマである、「本当に大切なこと」というのは、実はとてもシンプルで、けれども、実行するのは大変難しい、ということを、私は中村哲さんに教えてもらいました。中村さんがお書きになったものを読んで、そのことを学びました。中村さんは、お医者さんで、30年以上にわたって、パキスタン、続いてアフガニスタンで医療活動、農業支援をなさいました。診療所を開設し病気の治療にあたり、井戸を掘り、用水路を通し、アフガニスタンの農地の復興や拡大を支援してきました。本日の話のテーマ、「本当に大切なこと」を、中村さんはどう考えていたのでしょうか。

 中村さんがお書きになった本の中にこのような一節があります。「現地のゆきとどかぬところを補い、地元がやりたくても出来ないことを支えるのが、協力である。」もう一度お読みします。「現地のゆきとどかぬところを補い、地元がやりたくても出来ないことを支えるのが、協力である。」現地の人に向き合わず、自分の国で華々しく報道されるような支援は、単なるパフォーマンスに過ぎない、と中村さんは考えます。あくまでも地元の人のことを第一に考える、それ以外のことは考えるべきではない、というのが彼の信念でした。とてもシンプルです。しかし、このシンプルな信念を貫くことがどれ程困難で、挫折を繰り返すことになるか、そのことを中村さんの行動が示しています。シンプルな信念を実行することはとても難しい、しかし、やり遂げた時には、人生の面白さ、人生の奥深さを実感出来、生きていて良かったと心から思えることがある、と中村さんは教えてくれるのです。

 お話ししたい3人のうちの二人目の話をします。二人目はクリスマスで、その誕生をとても多くの人々がお祝いするイエス・キリストです。初めにお話ししましたように、今度の日曜日はイエス・キリストの復活を祝うイースターです。「本当に大切なこと」について、イエスはどう言っているでしょうか。

 ある時、イエスは「本当に大切なことは何ですか」と尋ねられます。お答えになったことは2つあるのですが、今日はそのうちの一つを紹介します。イエスが「本当に大切なこと」と言ったのは次のことです。「あなたの隣りにいる人を、自分と同じように大切にしなさい。」もう一度、読みます。「あなたの隣りにいる人を、自分と同じように大切にしなさい。」この言葉もいたってシンプルです。隣にいる人を自分と同じように大切にする、誰にでも分かる言葉です。ただ、聖書全体を読んだ上でもう一度この言葉の意味を考えてみると、イエスの言う「あなたの隣りにいる人」とは、次の様な人々のことをさしていることがわかります。社会の中で困っている人、弱い立場にある人、皆から目をかけてもらえない人、そういう人々のことをイエスは「隣人」と呼び、その人たちを自分と同じように大切にしなさいと言っています。とても難しいことですね。これから高校の3年間を送っていくにあたって、私は是非皆さんに、「自分の隣人とは誰だろう」と考えてほしいと思います。困っている人、悩んでいる人、苦労している人、弱い立場の人、それらの人たちがあなたの隣人ですよ、とイエスは言います。そういう人たちを自分と同じように大切にするとはどういうことだろう、と考えてみて下さい。

 最後に3人目の方です。3年前にお亡くなりになったシスター渡辺和子です。『置かれた場所で咲きなさい』という本がロングセラーになっています。私はシスターのお書きになったものから多くのことを学ばせて頂いてきました。ある時、シスターの本の中で、マルティン・ブーバーという哲学者のことを知りました。先程触れた、イエスが言った「自分と同じように隣人を大切にしなさい。」という言葉にも通じますが、自分や隣人をなぜ大切にしなければならないのか。マルティン・ブーバーは、「本当に大切なこと」として、次のことを言っています。

「自分という人間は、今までかつて一度もこの世に存在したこともなく、また今後も二度と現れることがない人間である。」これも大変シンプルな真理です。「自分という人間は、今までかつて一度もこの世に存在したこともなく、また今後も二度と現れることがない人間である。」これは自分だけではなく、私たちが日々接する人についても言えることです。それぞれの人には、他の人には決してないその人のユニークさがあり、またその人にしか果たせない使命がある。そう考えると、私たち一人一人の存在がいかにかけがえのないものかが、少しずつ分かってきます。かつて一度も現れたことがなく、今後も決して現れることのない自分と言う存在、そして自分が日々接する他者という存在、その存在を大切にしなさい、とイエスは言います。

 今まで、「本当に大切なこと」ということを中心にお話をしてきました。新入生の皆さんはこれから折に触れて、宗教の授業で、あるいは放送朝礼で、時には神父様のお話から、イエスの言葉、生き方に触れていくことになります。最後にそのような日々を長野清泉の生徒はどう感じるのか、一人の生徒の文章を紹介して今日の話を終わりにしたいと思います。

 今年3月卒業した生徒の文章です。では、お読みします。

「私は、宗教はいつも同じことを言うと思っていました。毎回毎回どんな授業もどんな説教もどんな講話も、形容してしまったら似た話というかんじがしていました。何故ずっと、どんな人も誰でも、大切なものは一つで、神さまを大切に、タラントは誰にでもあってそれぞれ違う、隣人を愛しなさい、愛することが大切・・・そう説いているのだろう、と。

でも私は分かりました。繰り返されれば繰り返されるほど、私には(どのようなかたちでそれが残っていたとしても)、確実に刻み込まれているということ。それはいつしか、頭に入っている知識ではなく、正しく、心に入ってくるようになりました。ミサのときに、心を落ちつけるのもとても楽になっていました。

 今回の静修会の「みことばの祭儀」では3年間、または6年間ミサを行ってきた3年生らしく、とても厳かで、落ちついた式でした。どこで立つか、どこで何を言うのか、何の心配もせずただ心をゆだねておけるものでした。ここまできたのも、私たちの今までの学生生活、清泉生活の賜物でしょう。こういうことだけでも、私はまた一つ胸を張れるものができました。この先何があっても私は長野清泉の日々があるので大丈夫だと、少し思うことのできるきっかけを作ることのできた静修会でした。ありがとうございました。」

今日入学した皆さんが、今の生徒が最後に記していた言葉、「この先何があっても私は長野清泉の日々があるので大丈夫」と思えるような日々を清泉で送って欲しいと心から願っています。

本日はご入学おめでとうございます。以上を式辞と致します。

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