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清泉メッセージ

201311.12

No21「私たちは『見えないもの』によって生かされている」

2013-thumb-338x183.jpg今日は、私たちは「見えないもの」によって生かされている、ということについてお話したいと思います。世の中には、私たちに見えるものがあり、見えないものもあります。では、見えないものは、この世の中には無い、つまり存在しないのでしょうか。

私は学生時代、自分の研究テーマの中で、この見えないもの、を前にして、行き詰ってしまった時がありました。当時は、「見えないということは、もしかすると在るのかもしれないけれど、本当は無いのかもしれない、在るのか無いのか確かめようがないのだから、見えないのに在る、とは断言できないのではないだろうか。」そう考えていました。

ちょうどその頃、宇宙物理学という学問を学び始めたばかりだったから、かもしれません。地球と同様に、宇宙のあらゆる現象には、因果関係、つまり原因と結果、が必ず存在するはずだ、そう信じ込んでいました。しかしながら、観測の結果はそんな簡単に説明できるようなものではなかったのです。そんな折、ある一人の先生から、次のような助言を頂きました。その先生は物理学ではなく数学を専門としておられました。「私たちが数学を考える時、当たり前に成り立つ定理から始めます。幾何学なんて特にそうです。そしてその定理を使って、未解決の問題を次々と解いていくわけです。でも、そういった定理は、実はずっと以前からそこに存在していたのに、はじめ、私たちには見ることができなかったわけです。だから、古(いにしえ)の数学者たちは必要に迫られ、必死になって見つけ出そうとしたわけです。だから、数学では、見えないものにこそ、細心の注意を払わなければいけないんです。」最新の科学理論を支える数学的真実が、最初、私たちには見えないものであった、そういう事実を改めて知らされた時、私は愕然としました。

さらにちょうどその頃、たまたま目にした聖書の中で、次の一節を見つけたのです。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」この一節のおかげで、神様が私たち人類のために準備をし、隠しておいて下さった、私たちには見えない「真実」を、私たちが試行錯誤の結果、「発見」し、それをもとに、次の新しい「真実」を発見していく、そうした歴史の連鎖の結果として、現在における科学技術の発展があるわけなんだ、そう確信できたのです。

そう言えば、科学的新事実を「発見する」とは言いますが、「発明する」とは言いませんね。ですから、私たち人類を支えるあらゆる科学が、元を正せば、「目に見えないもの」であった、そう言えるのではないでしょうか。みなさんも、見えないものにこそ、真実が隠されているのだ、という視点で、世の中のあらゆる事柄を、心の目を通して見つめていってほしいと思います。

これで私の話は終わりです。お立ちください。目には見えないけれど、美しい歌声で、聖歌を歌いましょう。 (写真と本文とは関係がありません。)

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