お知らせ
News 清泉メッセージ
清泉メッセージ
201306.10
No3「『無駄』の効用」
今日は「無駄」の話をします。テスト前なのに「無駄」な話になるかもしれませんが、聞いて下さい。
「無駄」の反対は、おそらく「役に立つ」です。テストの「役に立つ」勉強。社会の「役に立つ」仕事。多くの場合、わたしたちは毎日「役に立つ」ことを大切にして生活しています。でも、そこから行き過ぎてしまったり、別の方向にそれてしまったりして、「役に立たない」ゾーンに入り込むことがあります。これが、過剰・逸脱が生み出す「無駄」です。
実のところ、私はこんな「無駄」が大好きです。深入りしすぎて何の役に立つのか分からない知識、当初の自分の関心から大きく逸れてしまった話題に、特に強く惹きつけられます。逆に「それ何の役に立つの?」という問いの立て方は好きではありません。それは「今、現在の自分」という非常に限られた視野から、役に立たないと判断したものを捨てるための問いです。いわば人間を「ただ食べて行ければいい」という存在に向かって削っていく問いです。
それに対し、過剰や逸脱が生み出す「無駄」は、人間を他の動物とは違う、ユニークな存在にしてくれるものだと思います。オランダの歴史家であるホイジンガは、人間を定義して「ホモ・ルーデンス、遊ぶ人」という言葉を作りました。この「遊ぶ人」の「遊ぶ」には、今私が言ったような「無駄」と重なるところがあるようです。忙しい毎日だからこそ、何の役にも立たない「無駄」を楽しみたいと思って「無駄な努力」をしている、それが私の毎日です。これで私の話を終わります。
(写真と本文は直接には関係ありません。)