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清泉メッセージ
201603.31
No75「追悼ミサについて」
今日は、本日の追悼ミサについてお話したいと思います。
カトリック教会では、11月を「死者の月」とし、亡くなられた全ての方を思い起こし、祈りをともに捧げます。本校でも、ご縁のある帰天された方々のご冥福をお祈りします。本日2時よりお御堂にて、追悼ミサを行います。1時間ぐらいです。どなたでも参加できますので、どうぞお御堂におこしください。
さて、私ごとですが、大切な人との別れは、受け止めることがとても困難です。心にぽっかり穴が開き、あらためて、亡くなった方の存在の大きさに気づかされ、たまらなく寂しくなることがありました。そんな私を支えてくれたのは、ヨハネ11章24節の「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる』」という言葉でした。その聖書箇所を通して、死が決して終わりではないことを知りました。そして、いずれ私も死を迎え、神様の元で大切な人と再会したときに、恥ずかしくない生き方をしたいと強く思うようになりました。そして、人生に迷った時、悩んだ時、いつもその方ならどうしただろうと、その方を胸に思い描き、問いかけるようになりました。今では、天に召されその方が、私の中で今も生き続け、励ましてくれる存在となっています。
今日の追悼ミサでは、天国に召された方々のご冥福をお祈りするとともに、遺された私達が、頂いている命を大切にしながら、どんなに辛くても、前を向いて生き抜いていける力を神様に頂けるようにお祈りしたいと思います。そして、神様の御前で、自分の生き方を振り返る時間としたいと思います。
最後に、私を支え、生き方を指ししめしてくれるラインホールド・ニーバーの詩を紹介して終わります。この詩は、本日の追悼ミサの冊子の一番最後のページに載せてあります。
<神様、私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる 落ち着きを 変えられるものは変えていく勇気を そして、二つを見分ける賢さを。 今日一日を生き この今を楽しみ 苦難を平和に通じる道と受け入れながら この罪深い世の中を あのお方がなされたように 自分の意思を捨て、あるがままに受け入れながら、この世ではほどほどに幸福を得て 天国ではあのお方と共に 永遠に至上の幸福を得るという 神の意思にすべてを委ねるなら 神様は、何事もよくしてくださると信じて。アーメン。>
(2015年11月7日、放送朝礼より。)