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清泉メッセージ
201603.31
No80「雁風呂」
私がこれまでにものの見方、考え方で最も影響を受けたひとりに、深代惇郎という、朝日新聞の、記者がいます。今日は、深代惇郎の、天声人語のひとつを紹介して、放送講話にかえます。これは、東北地方に伝わる民話で、特に教育的、あるいは教訓的な話ということではないので、何も考えず、聞きっぱなしにしてください。
雁風呂、鳥の雁です。雁の風呂、雁風呂という題がついています。
<秋。一雁の声。シベリアやカムチャッカからそろそろ雁が渡ってくるころだ。先日、陸中海岸で雁を見たというハンターの話を聞いた。雁は夜だけ飛ぶ。たがいに鳴きかわしながら、いまごろは、どこの月夜の海をわたっているのだろうか。
津軽半島に伝わる「雁風呂」の話は、心やさしく、またあわれ深い伝説である。雁は遠い北国から海をわたるとき、木の枝を口にくわえて飛ぶ。疲れると枝を海に落として、その上で羽を休めるという。
海をわたり、津軽半島にたどりつくと、必要なくなった枝を海辺に落とし、翼をつらねて日本列島をさらに南へ向かう。山を越え、谷を渡っても、力つきておぼれ死ぬ心配は、もうない。日本の南で越冬し、早春に津軽に戻る。そのとき自分の落とした枝を見つけ、またこれをくわえて北に帰る。
雁の群れが去ったあと、海辺に残された枝の数は、死んだ雁を意味する。狩人に撃たれたものもいよう。病気で死んだものもいよう。小さな枝は、子雁かもしれない。村人たちはこの枝をひろい集め、それで風呂をたいて雁を供養する。これが「雁風呂」の言い伝えである。
口にくわえていた枝の上で休めるほど、雁の目方は軽いのだろうか。そうしたせんさく始める人は、空想の美しさを知らぬ手合いであろう。津軽には、藩の御料林への立ち入りが許されず、日々のタキギにも事欠いた人々がいた。
だから海辺に打ち寄せた枝は、海水を吸ってモチがよく、またとない贈り物だったという。春三月となり、厳寒をたえぬいた村人たちは、北に帰る雁の鳴き声を聞きながら、枝をひろったにちがいない。そうしたきびしい風土と貧しさであればこそ、この珠玉のような悲しく美しい民話を生んだのであろう。>
(2015年12月10日、放送朝礼より。写真と本文は関係がありません。)